第18回 オンラインカジノは本当に合法?知られざる日本の法的リスクと落とし穴

近年、オンラインカジノの利用を巡るトラブルや報道が世間を騒がせています。特に、著名人が関与したニュースは記憶に新しいのではないでしょうか。多くの方が「海外のサイトだから大丈夫だろう」と安易に考えてしまいがちですが、実はその認識には大きな「落とし穴」が潜んでいます。今回は、オンラインカジノを巡る日本の法律の現状と、多くの人が陥りやすい誤解について、司法書士の視点から詳しく解説していきます。

日本の「賭博罪」とオンラインカジノの現状

まず、日本の刑法における「賭博罪」についてご説明しましょう。賭博とは、結果が確実には予想できない事柄に対して金品を賭ける行為を指します。日本の刑法では、原則としてこの賭博行為を禁じています。

しかし、ここには複雑な事情が絡んでいます。日本の法律には「国民の国外犯」という概念があり、一部の犯罪(殺人や放火など)は日本人が海外で行っても日本の法律で裁かれる対象となります1。ところが、賭博罪はこの国民の国外犯の対象外とされています。これはつまり、日本人が海外の国で合法的に運営されているカジノを利用して賭博を行うことは、日本の法律では罰せられない、ということを意味します1。

この「海外での合法カジノはOK」という認識が、オンラインカジノに対する誤解の根源となっています1。オンラインカジノはサーバーが海外にあるため、「海外の合法カジノと同じ」と錯覚しがちですが、日本の刑法が問うのは「どこで賭博行為が行われたか」という点です。日本国内からインターネットを通じてオンラインカジノに参加する行為は、現行の日本の法律下では間違いなく違法とされています。

広まった誤解の背景

なぜこれほど多くの人がオンラインカジノを「合法」だと誤解してしまったのでしょうか。その背景には、社会全体に浸透したある種のプロモーションも指摘できます1。特に、テレビCMなどで「オンラインカジノの無料版」が積極的に宣伝されていたことが挙げられます。無料版は金銭を賭けないため賭博には当たりませんが、ここから「本物のオンラインカジノ」へと誘導されるケースが多く、あたかも有料版も問題ないかのような誤解を生んでしまったのです。有名タレントやスポーツ選手が広告塔を務めていたことも、その信頼性を高めてしまった一因と言えるでしょう。

責任の所在と法の本質

この状況において、最も責任が問われるべきは、安易に広告を流したメディア側、特にテレビ局やラジオ局であると考えられます。彼らはCMを放送する際に、その内容について審査を行う専門部署があるはずです。無料版から有料版への誘導があり、それが違法な賭博に繋がる可能性を認識しながらも、広告費欲しさにCMを流したとすれば、その責任は非常に重いと言わざるを得ません。CMに出演したタレントやスポーツ選手は、その内容の違法性を知る由もなく、彼らを責めるべきではありません。

一方で、「賭博罪」が本当に必要なのかという議論も存在します。多くの国では、スポーツ賭博などが合法化されている地域も少なくありません。日本においても、国や地方公共団体が胴元となる競馬、競輪、競艇といった「公営ギャンブル」や宝くじは合法とされています。宝くじは構造的に見れば完全な賭博ですが、国が運営するものは法律で許可されています。この「一般人はダメで、政府はOK」という現状は、「賭博は本来、そこまで悪いことではないのではないか」という問いを投げかけます。

賭博を罪とすることには、確かに「ギャンブル依存症」による個人の破産や生活破綻を防ぐという建前があります。実際に、依存症によって財産を失い、生活が立ち行かなくなる人は存在します。私も、ギャンブルで借金を重ねてしまった多くの方の債務整理のお手伝いをしてきました。しかし、その一方で、賭博を犯罪とすることによる大きなマイナス面も存在します。一つは、反社会的勢力(暴力団など)の資金源になるということです。もう一つのマイナス面は、多くの善良な一般市民を「犯罪者」にしてしまうことです。違法性の認識が曖昧なまま、あるいは「みんなやっているから大丈夫だろう」という軽い気持ちで手を出してしまい、意図せずして法律を犯してしまう人が後を絶ちません。

今後の展望と利用への警鐘

今後、賭博に関する法制度が見直される可能性も議論されています。例えば、貸金業規制のように、年収の3分の1を超えるような高額な金銭を賭ける行為を規制対象とする、といった方策が議論されています。また、ギャンブル事業者が得る収益の一部を、ギャンブル依存症の治療や支援を行う施設の運営費用に充てる、といった仕組みも有効でしょう。多くの日本人は、自己責任の範囲内で娯楽としてギャンブルを楽しんでおり、ごく一部の人が依存症に陥るという実態を踏まえれば、このような立法政策は十分に合理性があると考えられます。

しかし、繰り返しになりますが、現行法の下では日本国内からのオンラインカジノ利用は違法です。過去に多くの利用者がいたとしても、警察がその全員を立件することは物理的に困難です。しかし、非常に頻繁に、あるいは多額の金銭を賭けている一部の利用者については、立件される可能性が十分にありますので、決して安易な気持ちで利用しないよう、くれぐれもご注意ください。

法律は社会情勢の変化に応じて見直されるべきものです。オンラインカジノを巡る現在の状況は、私たち国民が、そして政治家が、賭博に関する法制度のあり方を改めて深く考えるべき時期に来ていることを示唆しているのかもしれません。

もし、オンラインカジノの利用に関して不安や疑問をお持ちの場合は、お近くの法律の専門家にご相談いただくことをお勧めします。

第17回 家族を困らせない!デジタル時代の新しい「備え」:あなたのスマホ、PCに残された見えない遺産とは?

「相続」と聞くと、不動産や預貯金、有価証券といった“形ある財産”を思い浮かべる方がほとんどでしょう。しかし現代には、スマートフォンやパソコン、インターネット上に存在する「デジタル遺産」という、もう一つ無視できない重要な財産があります。

40代から70代の皆さま、ご自身やご両親の“もしもの時”に備え、デジタルの世界へ目を向けたことはありますか? 近年このデジタル遺産をめぐるトラブルは急増しており、過去8年間で相談件数は3倍以上に膨れ上がっているそうです。思わぬ問題に直面するご家庭が少なくないのが現状です。

なぜ「デジタル遺産」が家族の負担になるのか?

想像してみてください。大切な家族が突然この世を去った後、残された遺族は悲しみの中でさまざまな手続きを進めなければなりません。その過程で、次のような“デジタルの壁”にぶつかるケースが後を絶ちません。

  • ネット銀行や証券口座にアクセスできない
    ログイン ID やパスワードが分からなければ、残高確認も解約手続きも進みません。手続きは可能でも、膨大な時間と労力がかかります。相続人がデジタル遺産に気が付かず、相続手続きや確定申告を済ませたあとで、遺産分割協議のやり直しや修正申告となってしまうケースもあります。
  • サブスク料金の支払いが続く
    動画配信やオンラインストレージなどの月額サービスは、契約状況が分からなければ利用していなくても料金が引き落とされ続けてしまいます。
  • 思い出やプライベートな写真・データにアクセスできない
    デバイスにロックがかかっていると、写真や連絡先など大切なデータにたどり着けないことがあります。
  • 知られざる秘密のデータが見つかる
    故人が家族に知られたくなかった個人的情報が発見され、遺族が精神的ショックを受ける例も報告されています。

これらの問題は“他人事”ではなく、いつでも誰にでも起こり得る“自分事”です。

トラブルを未然に防ぐための「デジタル時代の備え」

司法書士としておすすめする三つの対策をご紹介します。

  1. ログインパスワードの共有方法を決める
    • 物理メモを活用:名刺サイズの紙などにデバイスや重要サービスのパスワードを書き留め、通帳や保険証券と一緒に保管しておく。プライバシーが気になる場合は、家族だけが解読できるヒントや暗号にし、スクラッチ加工で隠すなどの工夫を。
    • 緊急時情報伝達サービス:定期的に生存確認を行い、一定期間応答がない場合に指定家族へ情報を自動送信する有料サービスもあります。単身世帯や急変リスクが気になる方に有効です。
  2. デジタルデータを整理しプライバシーを守る
    • データ整理ツールの利用:データを「重要」「開示」「秘密」の三つに分類できるアプリを活用し、相続関連情報とプライベート情報を明確に分ける。
    • 生前整理を習慣化:不要データの削除や整理を定期的に行い、万が一の負担を軽減しましょう。
  3. 専門家へ相談する
    デジタル遺産は範囲が広く、すべてを把握して対策を講じるのは容易ではありません。情報開示の範囲や管理方法、法的手続きとの連携など、専門知識が求められる場面も少なくありません。当事務所では、デジタル資産の棚卸しから具体的な対策、ご家族への情報共有まで、状況に合わせた最適なプランをご提案いたします。例えば、死後事務委任契約や遺言での対策が理想的です。

今すぐ始められる「デジタル時代の備え」

「終活」はまだ先のことと思われるかもしれませんが、デジタル遺産の問題は“突然への備え”としての性格が強いものです。まずはご自身のスマートフォンやパソコンに何が入っているか、どのサービスと契約しているかを「見える化」してみましょう。そして「誰に」「どのように」伝えるかを具体的に決めることが、家族をトラブルから守り、平穏な相続を実現する第一歩となります。

ご自身とご家族の安心のために、デジタル時代の新しい「備え」を今日から始めましょう。ご不明点やご不安があれば、どうぞお気軽にご相談ください。


第16回【フジテレビ「サン!シャイン」取材協力】大阪・ミナミ14.5億円地面師事件から学ぶ「住民票不正取得」の恐ろしさと制度の課題


先日、大阪・ミナミで発覚した地面師事件のニュースは、多くの皆さんに衝撃を与えたことと思います。不動産会社代表になりすまし、土地取引をもちかけて約14億5千万円もの大金をだまし取ったとされるこの事件。その巧妙な手口は、私たちのすぐ身近にある制度の「隙」を突いたものであり、専門家としても強い危機感を抱いています。

私のもとにも、この事件について「一体どうやって、そんな大金が騙し取られてしまったのか?」というご相談やご質問が寄せられています。そして先日、光栄なことにフジテレビの朝の報道番組「サン!シャイン」から取材協力のご依頼をいただき、司法書士の立場から、この事件の背景にある問題点や、私たちが注意すべき点について解説させていただきました。

テレビでは時間の制約もあり、十分にお伝えできなかった点もあります。そこで今回は、ブログという形式で、改めてこの事件の詳細と、特に私が専門家として最も問題だと感じている、事件の「発端」となったある制度の悪用について、深く考察してみたいと思います。

事件の発端:巧妙に悪用された「住民票不正取得」の手口

今回の地面師事件で明らかになった、彼らの最初の、そしておそらく最も重要なステップは、「住民票の写し」を不正に入手したことでした。

彼らは、ターゲットとした不動産会社の代表に「数十万円を貸した」という虚偽の「借用書」を作成し、自治体の窓口に提出しました。そして、法律上、本人でなくても「訴訟提起などの必要性が認められれば」住民票の写しが交付される制度を悪用したのです。これは利害関係人からの請求という制度になります。

これが、事件の恐ろしい幕開けでした。なぜなら、大阪市によると、提出された借用書などの記載内容の確認は行うものの、原則として、当事者(本来の所有者である不動産会社代表)への連絡などは行わない運用になっているからです。つまり、悪意を持った第三者が虚偽の書類を用意すれば、本人に知られることなく住民票の写しを手に入れられる「抜け穴」が存在していたことになります。

本来の所有者の住民票写しを入手できたことが、今回の巨額詐欺事件の「なりすましの発端」となったことは、非常に重要なポイントです。個人の最も基本的な情報が記載された住民票が、不正な手段で第三者の手に渡ってしまったことが、その後の巧妙な犯罪を可能にしてしまったのです。

住民票情報からの「なりすまし」の連鎖

入手した住民票には、ターゲットの正確な氏名、住所、生年月日などの個人情報が記載されています。地面師グループは、この情報を悪用して、さらに巧妙な偽装工作を進めました。

  1. まず、住民票の個人情報を基に、ターゲットである不動産会社代表の運転免許証を作成しました。
  2. この偽の免許証を使って、役所でターゲットの「印鑑登録」を勝手に変更しました。
  3. 変更後の印鑑で、「正規」に見える印鑑登録証明書を入手しました。
  4. 次に、偽の印鑑登録証明書と実印を使って、不動産会社の代表印(法務局届出印)を変更しました。加えて、偽の株主総会議事録などの書類も作成しました。
  5. これらの偽造書類を用いて、不動産会社の「法人登記簿」を変更し、詐欺グループの男が会社の新しい代表取締役に就任したかのように見せかけたのです。

こうして、グループ側は、あたかも自分たちが正規の物件所有者であるかのように装う「公的書類」を次々と手に入れました。そして、これらの偽造書類を信頼させると同時に、交渉相手には「(本来の所有者の)おいにあたる」などと嘘をつき、巧みに土地取引を持ち掛けたのです。

なぜ巨額詐欺は成功したのか? 取引側の心理と背景

約14億5千万円という巨額の詐欺がなぜ成立してしまったのでしょうか。その背景には、取引された物件の特性と、不動産業界の心理が関係していると考えられます。

ターゲットとなったのは、いずれも地価が高騰する大阪・ミナミの繁華街に位置する「好物件」でした。特に、ある物件は国立文楽劇場からも近く、インバウンドも多く行き交う「絶好の立地」だったと報じられています。

このような物件は、購入後に転売することで簡単に利益が得られる期待が高く、「購入希望者が結構いたはずだ」 と言われています。そのため、少しでも早く手に入れたいという、不動産業界の「われ先に」という心理が利用された可能性があります。

また、今回だまし取られた売買代金の中には、ある物件だけで4億5千万円とされるものがありますが、不動産業界の関係者からは「立地を踏まえれば、考えられない安値。相場はもっと高い」 との声も上がっています。安値で購入できれば簡単に利益が得られる という思惑が働き、通常は行うべき下見や測量などを重ねた慎重な手続きを省略してしまう会社も業界内に存在する とされており、こうした事情も、地面師に騙されやすくなる一因だったかもしれません。

巧妙に作られた偽造書類、そして好条件の物件に対する「早く手に入れたい」「安く買って儲けたい」という心理。これらの要素が複雑に絡み合い、今回の巨額詐欺を成功させてしまったと言えるでしょう。

制度運用への問題提起:司法書士として訴えたいこと

今回の事件を通じて、司法書士として最も強く訴えたいのは、やはり事件の「発端」となった住民票の写しの不正取得を許してしまった、現行の制度運用に対する問題提起です。

前述の通り、大阪市では、利害関係人からの請求に対しては、提出された書類の記載内容を確認するものの、原則として当事者への連絡は行わない運用となっています。この運用が、悪意を持った第三者が、虚偽の借用書一枚で他人の住民票を手に入れることを可能にしてしまう「抜け穴」となっている可能性があるのです。

司法書士は、不動産登記手続きや相続手続きなどで、職務上他人の住民票を取得する機会があります。その際は、厳格な本人確認と、「なぜその方の住民票が必要なのか」という具体的な理由、そしてその必要性の確認が求められます。

一方で、自治体の窓口での「利害関係人からの請求」に対する審査は、より形式的にならざるを得ない部分があるのかもしれません。しかし、今回の事件のように、住民票という重要な個人情報が不正に取得されることで、その後のなりすまし犯罪に直結してしまう現状を考えると、自治体側にも、より厳格な審査基準や運用が求められるべきだと強く感じています。

例えば、

  • 提出された借用書などの書類の真偽を確認するための手段を強化する。
  • 不動産取引を目的とした請求など、特に悪用のリスクが高いと判断されるケースについては、例外的に本人に通知を行う、あるいは電話などで意思確認を試みるなどの対応を検討する。
  • 請求理由の「必要性」を、より具体的に、厳格に判断する。

個人の権利行使の機会確保は非常に重要ですが、それを理由に不正な情報取得が容易になってしまっては本末転倒です。悪用されやすい制度には、それに見合ったリスク管理策を講じる必要があります。今回の事件は、私たちの個人情報が、いかに脆い基盤の上に成り立っているかを痛感させるものです。

まとめ:地面師事件から学ぶべきこと

大阪・ミナミの地面師事件は、巧妙な詐欺師が、既存の法律や制度の「隙」を突き、いかに巨額の不正を行うことができるのかを私たちに突きつけました。そして、その最初の突破口が、まさか「住民票の不正取得」であったという事実は、私たちが日頃当たり前だと思っている公的制度の中に、思わぬリスクが潜んでいることを教えてくれています。

司法書士として、このような悪質な地面師の手口や、それを可能にしてしまう制度の課題を、広く社会に知っていただくことの重要性を改めて感じています。今回のテレビ取材協力も、そのための貴重な機会となりました。

私自身も、今回の事件から得られた知見を活かし、お客様の大切な財産や権利をこのような不正から守るため、より一層専門知識と注意力を磨いていく決意です。


第15回 相続放棄の費用、期限とは?売れない負動産を相続しない選択


負動産

「親が亡くなったけれど、プラスの財産はほとんどなく、借金や手入れされていない実家(いわゆる『負動産』)が残されてしまった…」

「遠い親戚に相続が発生したと連絡が来たけれど、全く付き合いがなく、どう対応すればいいか分からない…」

相続は、大切な方を亡くされた悲しみの中で行わなければならない、非常にデリケートで複雑な手続きです。特に近年、核家族化や高齢化の進展に伴い、相続に関する悩みも多様化しています。中でも、借金や価値の低い不動産といった「負の遺産」を相続したくないという理由から、「相続放棄」を検討される方が増えています。

しかし、相続放棄は安易に考えてしまうと、思わぬ落とし穴にはまってしまう可能性も。今回は、相続放棄について知っておくべき基本的な知識や手続きの流れ、注意点について、司法書士の視点から解説します。

相続放棄を検討する方が増えている背景

なぜ今、相続放棄を選択する方が増えているのでしょうか?

主な理由の一つとして、亡くなられる方の数自体が増加傾向にあることが挙げられます。それに伴い、相続の発生件数が増え、相続に関する問題に直面する方も自然と多くなります。

また、都市部であればまだしも、地方に実家が残された場合など、買い手がなかなかつかない、あるいはそもそも値がつかないといった不動産(いわゆる「負動産」)が増えていることも背景にあります。こうした不動産は、所有しているだけで固定資産税などの費用がかかり、管理の手間も生じます。そのため、「手放すのにお金がかかるくらいなら、いっそ相続しない方が良い」と考える方が少なくありません。

親が残した借金を相続したくないという理由だけでなく、このように「負の遺産」としての不動産を相続したくないという動機から、相続放棄が検討されるケースが増えているのです。

相続放棄とは?その前に知っておくべき「相続人」の範囲

相続放棄は、亡くなった方(被相続人)の遺産を全て受け継がないという意思表示です。家庭裁判所に申述することで行います。この手続きが受理されると、初めから相続人ではなかったことになります。

相続放棄について考える上でまず理解しておきたいのが、「誰が相続人になるのか」という相続人の範囲と順位です。

  • 常に相続人になる人:被相続人の配偶者
  • 配偶者以外で相続人になる可能性のある人:
    • 第1順位:被相続人の子。子が既に亡くなっている場合は孫、孫も亡くなっている場合はひ孫と、下の世代へ権利が移ります(代襲相続)。
    • 第2順位:被相続人の父母。父母が共に亡くなっている場合は祖父母と、上の世代へ権利が移ります(直系尊属)。※第1順位の人がいない場合に相続人になります。
    • 第3順位:被相続人の兄弟姉妹。兄弟姉妹が既に亡くなっている場合は甥や姪へ権利が移ります(代襲相続)。※第1順位、第2順位の人がいずれもいない場合に相続人になります。

もし、上記の相続人が全員相続放棄を選択した場合、相続権は次の順位の相続人へと移っていきます。例えば、配偶者も子も相続放棄した場合、相続権は父母や祖父母へ。さらに父母や祖父母も全員放棄した場合は、兄弟姉妹や甥姪へと移る可能性があるのです。

知らないうちに自分が「相続人」に?

ここで注意が必要なのは、自分が相続人であることを自覚していないケースです。特に、長年音信不通だった親戚に相続が発生した場合など、「まさか自分が相続人になるなんて」と考えている方も少なくありません。

しかし、上の順位の相続人が全員相続放棄をした結果、それまで全く関与していなかった方が、突然「あなたが相続人です。相続の手続きをしてください」と連絡を受けることがあります。

このような事態を避けるためには、上の順位の相続人が相続放棄をした場合、次に相続人となる可能性のある方へ、その旨を知らせる配慮が重要です。

相続放棄の手続きと「3ヶ月」の期限

相続放棄の手続きは、必要書類を揃え、家庭裁判所に申述書を提出して行います。戸籍謄本などを収集する必要があり、ご自身で行うことも可能ですが、専門家である司法書士にご依頼いただくのが一般的です。

司法書士に相続放棄の手続きを依頼した場合の費用は、1名あたり1万2,000円から8万5,000円程度が目安となることが多いようです。事案の複雑さなどによって費用は変動しますので、依頼前に確認することが大切です。

そして、相続放棄には厳格な期限があります。原則として、「自己のために相続の開始があったことを知った時から3ヶ月以内」に家庭裁判所に申述しなければなりません。

この「知った時」というのが重要なポイントです。被相続人が亡くなった日から3ヶ月ではなく、「自分が相続人になったと知った日」から3ヶ月です。例えば、遠い親戚で亡くなったことを知らなかった場合や、上の順位の相続人が全員放棄したことで初めて自分が相続人になったことを知った場合など、亡くなってから数年後、あるいは10年以上経過してから相続人になったと知ることもあります。この場合でも、自分が相続人になったと知った日から3ヶ月以内であれば、相続放棄の手続きが可能です。

ただし、この「知った時」がいつであるかを明確に証明できるよう、専門家と相談しながら手続きを進めることをお勧めします。

一度相続放棄をしたら「やっぱりやめた」は、できない!

相続放棄を検討する上で、最も重要な注意点の一つは、一度家庭裁判所に受理された相続放棄は、原則として撤回(取り消し)ができないということです。

「借金があると思っていたけれど、手続きをした後に実は多額のプラスの財産があったことが分かった」といった場合でも、残念ながら一度放棄したものを「やっぱり相続します」と翻すことはできません。

そのため、相続放棄の手続きを行う前には、被相続人の財産状況(借金や不動産だけでなく、預貯金や有価証券なども含め)をしっかりと調査することが極めて重要です。プラスの財産が借金よりも多い可能性もゼロではありません。

しかし、3ヶ月という期限の中で、被相続人の全ての財産を漏れなく調査するのは簡単なことではありません。特に、どこにどんな財産があるか分からない場合は、専門家のサポートが必要になることもあるでしょう。

全員が相続放棄しても残る可能性のある「管理義務」とは?意外な落とし穴

さらに、相続放棄をしたからといって、全ての問題から完全に解放されるわけではないケースがあることにも注意が必要です。

もし相続人全員が相続放棄をしたとしても、残された相続財産(特に不動産である実家など)について、「管理義務」が残る場合があるのです。

これは、相続財産が原因で第三者に損害を与えてしまう可能性のある場合、その損害を防止するための最低限の管理は行う必要がある、という考え方です。例えば、相続放棄した空き家が、地震や台風で倒壊し、隣家に被害を与えてしまったといった場合、損害賠償の責任を問われる可能性があります。

特に「現にその財産を占有している」場合、管理義務が残ると考えられています。例えば、相続放棄はしたけれど、たまに実家に行って掃除をしている、といったケースなどがこれに該当する可能性があります。

では、この管理義務から完全に解放されるにはどうすれば良いのでしょうか?一つの方法として、相続財産管理人を家庭裁判所に申し立てて選任してもらうという手続きがあります。相続財産管理人は、被相続人の財産を管理・清算する役割を担います。

しかし、この相続財産管理人選任の手続きには、数十万円単位の費用(予納金)がかかることが一般的です。そのため、この方法を選択することも、必ずしも容易ではありません。

相続放棄は、借金などを受け継がないための有効な手段ですが、これらのように「やっぱりやめた」ができないことや、管理義務が残る可能性があるといった意外な落とし穴が存在します。

終わりに:相続放棄を検討するなら専門家へご相談を

ここまで見てきたように、相続放棄は非常にメリットが大きい手続きである一方で、注意すべき点も多く、単純な手続きではありません。特に、期限が3ヶ月と短い中で、財産調査をしっかり行い、将来的なリスク(管理義務など)も踏まえて慎重に判断する必要があります。

相続が発生して、借金や空き家などの「負の遺産」のことでお悩みの方、あるいは自分が相続人であると知ったけれどどうすれば良いか分からないという方は、決してご自身だけで抱え込まず、まずは相続の専門家である司法書士にご相談ください。

司法書士は、相続放棄の手続きのサポートはもちろん、財産調査のアドバイスや、相続放棄以外の選択肢(限定承認など)も含めて、お客様にとって最善の方法を一緒に検討し、適切な手続きをナビゲートいたします。

当事務所でも、相続に関するご相談を承っております。どうぞお気軽にお問い合わせください。